痛みと共にクリスマス

内科の薬で痛みと腫れが随分治まつたものの完全ではなかつた。と云ふか、治まつたと信じたい気持ちが強く、病状の悪化に目を瞑り、振り返つてみれば12月に入つてからまともな食事をしてゐない。痛くて…。
クリスマスケーキをコーヒーで、やつと流し込んだのが、口にした今年で最後の固形物となるのであつた。
さう云ふ訳で、痛みを無視も出来ず、年末年始…この時、もしかしたら年始を迎へず死ぬのかもしれない。と云ふ程深刻な状況だつた為、町の耳鼻咽喉科に行つた。
内科で、もし駄目だつたら耳鼻咽喉科だよ。と言はれ、そこへ行けば楽になれると思つてゐたのに、何とこの耳鼻咽喉科では「わかりません。」と言はれた。「内側のことは、写真撮つてみないとわからない。」と言つた診察室のその奥に「レントゲン室」があつたのだけれど、それぢや駄目なんですか。
「県立病院に紹介状を書きます。」と言はれたショック。「ここで何とかして貰へませんか?」つて、嫌な面倒な患者だつたかもしれない。でも私も痛みと薬で理性はある程度なかつたので、すみません。
だつて、何となく癌なのかと思つて怖くなつてしまつたのです。
シコリ→癌→自覚症状→転移→末期→死…グルグルグルグル
余り怖がつてゐるからか、相変わらずの抗生物質で月曜日まで様子を見ることになつた。


この夜のことである。

食べられないのはもちろん、飲めない、眠れない、死にさう。月曜日まで待つたとして県立病院で診て貰つて処置する迄、私が持ちさうにない。一応近所の総合病院に電話して、病状を説明すると、緊急外来に内科医がゐるけれど、状況によつては耳鼻科の先生を呼ぶからすぐに来てくださいとのことだつた。
やつとの思ひで病院へ行くと、熱を計つて血圧を採つて貰つた。時間外に診て貰つて文句を言へる立場ぢやないけれど、医師が一言「わからない。」つて…思はず「え?」と言ふと「内科だから、わからない。座薬だします。」だつて。座薬つてショッキングな薬なんだけど、仕方ないと思つてトボトボと帰宅。
で、座薬がさつぱり効かなくて、何となく眠れるレヴェルまで治まるのは1時間くらゐ。死ぬなあ、と思つてまた病院へ。
この時の医師はとつても親切で、「わからない」事を前提に、「今出来る限りの手を尽くして少しでも痛みを和らげるしかないから、試せるだけ色んな事をやつてみませう。だから頑張つて乗り切りませう。」と言つてくれて、少し生きられるやうな気がしてきた。只、「こんなに長い間腫れが引かないなんて、普通ぢやないんですよ。……しこり、ありませんか?リンパ腺上に。」と言つて色んな部位を触診した。何かいよいよ死ぬ感じになつて来たなあと思つた。