スランプについて

私のスランプ

5年か6年の間、スランプだつた。実際どのくらゐかわからないけれど、兎に角長かつた。ピアノの音の「鳴つてる」感じがしなくなつた事が始まりだつた気がする。音がダメ、駄目さ加減に焦る、集中できない、曲の覚えが悪い、曲が作れない、アレンジも出来ない。練習も辛く感じ始める。

初期に試してみたこと

基礎練習強化
効果なし。一応の現状維持は出来たと思ふけれど。
耳コピーと演奏
次に繋がるものを学べてゐない気がして気が滅入る。
場数を踏む
演奏する機会を貰へるだけ貰つてやつてみた。これを切つ掛けに益々下手になつて行つた。何故だかわからないけれど、一つのライブが終はる度に下手になり気力も低下して行く事となつた。
シンプルを追求
自分のレヴェルの音楽に何か楽しさを見出さうとするが無理。

悪化したこと

やる気
喪失
練習量
激減。短時間の練習も苦痛になる。
音楽に対して
聴く事すら苦痛になり、街やお店で流れるBGMさへ聴くと苦しくなる。

中期に試してみたこと

調子が良かつた時と今の違ひを見つめる
私はなんと人に恵まれて来たのだらうと云ふ事に尽きる。とりもなほさず私自身はダメなんだ。と益々落ち込む。
他の楽器を勉強してみる
気楽に音楽を楽しめた気はするけれど、狙つたやうな効果はなし。
基礎練習に様々な要素を取り入れる
悪くはなかつた。
筋トレ
ピアノの前に、少しだけ長く座つてゐられるやうになつた。(苦痛に耐へられる、みたいな。)
ジョギング
体が丈夫になつただけ。ジョギングの間だけ音楽を聴けるやうになつた。不意に聴こえてくる音楽はまだ辛い。

体力を付けるのは意外に良い感じがしたけれど、まだまだピアノの練習を、まるでノルマのやうに重く感じてゐた。時間があつても練習出来ない。音楽を聴くのも辛い。音楽を意地で辞められないのか、本当は辞めたいのか問ひ続ける。

スランプとは何か

私に音楽の道に進む切つ掛けを作つてくれたユーフォニアム奏者の先生の話しを思ひ出した。
「勉強を始めて、ある程度のところ迄は順調に成長するんだけど、必ずスランプがある。」と言つてこんな図を描いてくれた。

見辛いかも知れないけれど、Aは勉強を始める場所、Bはある程度の勉強が終はる場所、Cがスランプ(調子が悪い)時でDはスランプを抜けて調子が良い時。良い時と悪い時の中間はないのだと先生は声を強めた。
スランプの間は全く進歩出来ない。だけど練習しないとスランプを抜けた其処には行けない。そして、この繰り返すスランプは、2度目の時、1度目のスランプよりは、最悪でも紙一枚上に落ちてゐるさうだ。上がつて落ちてを繰り返し、上手くなるのだと言ふ。ちなみに、大した練習もしてゐなければ、スランプすらないと言ふ。本当かなあ…。自分以外は皆順調と言ふ気すらする。
「暫く休むと調子が良くなる」と言ふ人がゐる。さう言ふ人もゐるのかもしれないけれど、私は実感した事がない。ある先生も首を傾げてかう言つた「その人はどうせ普段からその程度の事しかしてないとしか思へない。」と。

スランプを抜ける期間、ただ闇雲に練習を…スランプだから練習を…と云ふ訳でもない気がする。まう少し考へてみると、「練習しても上手くならない」のには訳がある。
練習してゐないか、練習してゐる積もりで中身がないか、練習のやり方が間違つてゐるか、だ。

練習とは何か

副科でお世話になつた、打楽器の先生がこんな話をしてくれた。

練習つて言ふのはねえ、ただそれをやれば良いつてものぢやない。子供の頃、漢字の練習したでせう?何度も同じ字を繰り返し書いてゐると、麻痺しちやつて何の字を書いてゐるかわからなくなる時、ない?
音楽だつてさう。同じリズムをずつと叩いてゐて、段々と脳みそが麻痺してきちやふ。訳わかんなくなつちやふ。でも手が動いてゐる不思議な感覚。さう云ふ時に考へると手が止まつちやふの。頭は麻痺して手が動く。そこまでやつて、初めて「練習をした」と言つて良い。

スランプ生活の後半

色んな事を一つづつ試す中辿り着いた打楽器の先生の言葉を頼りに、この1年は何も考へず、マシンのやうに練習した。NHKスーパーピアノレッスンを何気なく見た。実際の言葉は忘れてしまつたけれど、「ここは心を込めないで弾いて。この部分はマジックなんだよ。オルゴールは好き?あなたは今オルゴールを開ける…はい。」なんて云ふのをやつてゐて、心に残つてゐる。
調子が悪くなり始めた頃は、何の練習をするにも「この音の構成は…」と、音が鳴つてる感じを意識したりだとか「コード進行がかうだから…」とか音や音の縦の関係や横の関係を凄く意識してゐた。それだつて必要な事だし、わかつてゐた方が絶対に良い事なんだけど、意識したり、心を込めればそれで良いつて云ふものぢやないんだなあーと思つたり。

スランプを抜けた…やつと

調子が良くなつて来た。あんなにも、あんなにもどうしたら良いのかわからなくなつてゐた私が、自分に今必要な練習や課題が見えてくるのだから不思議だ。音の響きを感じる事が、ほんの少しだけわかつた気もする。毎日やりたい事が自分にあつて、スランプを抜けたと言つて良いと思ふ。
まあでも、あの先生の言葉に反して、以前より下に落ちてゐると思はざるを得ない。折角それまで練習して、出来るやうになつた事も、今やつてみると出来なくなつてゐる。でもそれを、惜しむ気持ちも今はない。今日は何年かぶりに楽譜を書いた。
良い先生たちと出会つて、聴かせてくれた音からも、言葉からも、食事中のこぼれ話からも、生き方からも、多くの事を発見させられ、救はれた。素晴らしいアーティスト達なんだなあと思ふ。

アート一般についての僕の信念は、それがソウルを豊かにするものでなければならないと言ふ事です。
一人の人間に、それがなければ発見できない、彼自身のある部分を見せることによつて、スピリチュアルに教示出来るものであるべきだと言ふ事です。
自分自身の、ある部分を発見する事は簡単だ。でも、アートによつて、人は自分ですら知らなかつた自分自身の一部を知らされるんだ。それこそがアートの使命です。
アーティストとは、自分の中に、多くの人に通じる何ものかを見ひ出さなくてはならないし、自分以外の人たちに解つて貰へる言葉に置き換へる事が出来る人の事だ。
そして不思議にも、アートはこの事を人に、その人が気が付かない内に伝へられる。豊かにする。それこそが音楽の役割だ。