Blue Note Tokyo David Matthews ジャズ・セミナー “What is Standard?”

6月20日午後1時から、Blue Note TokyoでDavid Matthewsのジャズセミナーが無料で開催され、その模様がUstreamでも公開された。Twitterからと会場からの質問コーナーもあると云ふ事で、これは是非参加しなければと思ひ、午後1時からなんて早起きしなくても良い時間なのに、空腹も手伝つて3時間くらゐしか眠つてゐないのに目が覚めてしまひ、少し練習をしてから視聴を開始した。
特別したい質問はなかつたし、他の人がする質問が自分の勉強になるだらうと思つてゐたので準備もしてゐなかつた。ところでDavidの日本でのあだ名は「まーちゃん」なので、以下まーちゃんと呼ばせて頂くことにする。
まーちゃんは、1981年に初来日し、その後80回くらゐ来日してゐるさうだ。最初はフレンチ・ホルンを学び、その後アレンジャーに転身したと言ふ。アレンジャーとしての最初の仕事はフランク・シナトラ。とつてもエキサイティングで、セキュリティーが凄く厳しかつたさうだ。クインシー・ジョーンズジェームス・ブラウンなどビッグスターと仕事をした時の話などから始まつた。
セミナーのタイトルとなつてゐる「What is Standard?」スタンダードとは何か?
1920年代から1950年代までで、1960年に入り、ロックが流行る前までの音楽。ロックが出来てからは、「ジャズスタンダード」はないさうだ。そして、その時代の曲すべてがスタンダードな訳ではなく、50年代以降も愛され続けた曲のみが「スタンダード」なのだと言ふ。
アレンジャーは作曲家にならなければならないとか、スタンダードのメロディーが強いのはスケールの上にメロディーがあつて、音と音を繋ぐ音のバリエーションの違ひによつて曲が作られてゐるからだとか言ふお話がありました。アレンジとは、古い曲も新しい曲も自分のやり方、フィーリングでリメイクすることなのだと。作曲家になつてください。と言ふことでした。
次に待望の質問コーナーになつた訳ですが、会場からの質問が、「日本語が上手ですが、ジョン・レノンと同じ日本語の先生に習つたのは本当ですか。」なんて言ふ音楽に関係のない質問が2連続したものだからTwitterからブーイングの嵐。Blue Note Tokyoが素晴らしかつたのは、「会場の質問者の声もマイクに入れないと何が何だかわからない。」とTwitterから書き込みがあれば直ぐにマイクを用意し、「会場、音楽に関係ない質問ばつかりだから、こつち(Twitter)の人の質問使つて」と言はれればすぐにこちらの質問に切り替へ、「折角Twitterと連動してるのに回答者側が書き込みを見てないのは勿体無いな」と誰かが言へばスクリーンに私たちの書き込みを映し出す…と言ふ一連の対応をサササッと1分以内にやつてくれたことだ。Blue Note万歳。
質問の具体的な内容はかなりボヤけてしまつたので、正確な情報を知りたい方はBluenoteのサイトかUstreamチャンネルをご確認ください。きつといつか録画を公開してくれるでせう。BLUE NOTE TOKYO
Q:歌詞を意識しながら演奏するべきか
A:人によつて違ふ。私は歌詞は関係ない。歌詞があると、音楽が邪魔になる。
Q:ソロピアノとバンドでピアノを弾くのとでは意識することに違ひがあるのか。
A:バンドはメンバーとの対話であり、ソロは自分との対話になる。その意味でソロはより観客に近づくと思ふ。リレーションシップはとても大切であり、私はバンドで演奏する方が好き。
Q:インプロビゼーションについてアドヴァイスは?
A:インスピレーションがないと辛いよね…。私も二日酔ひでインスピレーションを失つた時、電車に乗つた電車の揺れる音をヒントにリズムを作つたけれど、それが良かつたんだ。音楽の神様を待つてください。インスピレーションを探して。
Q:私の師匠は良いアレンジは原曲を損なはない(だつたかな?)と言ひますが、どうすれば良いアレンジが出来ますか。
A:答へなない。自分のフィーリング、「これが良い!」を信じてください。
最後に、「ステラ・バイ・スターライト」を弾いてくれたのですが、ご高齢だからか、右手が不自由だつたやうです。だけれど、素直に自分の感性に従つた素晴らしい演奏で、かう言ふ事がジャズには必要なんだなと改めて教へて貰つた。自分がレッスンを受けても思ふ事だけれど、本で読んだり人に聴いたりではなくて、実際に本人がどう話すかを見聞きする事から得られる情報量はかなりのものだと実感させられた。先生と食事してゐるだけで勉強してゐる感じがするのだけれど、実際のその人の振る舞ひつて、凄いものがあるんだなと思つた。ライブと録音した音楽を聴くことにある違ひも、このやうな事なのか、良くわからないけれど。